
能登半島へ
今年の2月、仕事で能登半島の石川県輪島市へ災害支援に行ってきたので、今更ながらあの日々を気ままに綴ろうと思う。
【1日目】
福岡空港に到着。支援チームと合流し、みんな初めましての中、小松空港へ。
小松空港からバスで2時間ほど、富山県高岡市へ到着。初日はここで宿泊する。
地震が発生してまだひと月ほど。輪島市周辺のホテルは全て二次避難者や各地からの支援者で空きがない状況だったが、高岡市は輪島市からは距離があるので、まだホテルに空きがあったみたいだ。
夕飯は1人で高岡駅前の富山ブラックラーメン店へ。
豚骨ラーメン屋の匂いに慣れてるけど、この店はどちらかといえば町中華店の匂いがする。メニュー表に書いてあったが、コロッケの消費率が高岡市は国内でもNo.1らしく、なんとコロッケがついてきた。
初めての本場の富山ブラック、美味しかったなー。
高岡市街を歩いてみる。
中心街だが、人は少ない。
こんな状況下だが、行ったことのない土地へ足を運んだ時は、いちばん旅をしている実感がある。
基本的に明日からは朝食と昼食は全てコンビニ飯やカップ麺になるため、明日の分を今のうちにコンビニで調達しておく。
【2日目】
輪島市へ早朝よりバスで出発。
2時間半ほどかけて輪島市内に到着。
七尾、穴水と、輪島市に近づくにつれ、バスの窓から見える街の被害の様相がより大きいものとなってくる。
とにかく至る所でカジュアルに家が倒れ、潰れている。
輪島市役所に到着。
支援業務の説明を受け、現状把握、役割分担などを行う。
その時、輪島市役所で緊急地震速報が流れる。
震度4だったと思うが、久しぶりに感じた揺れは想像以上に恐ろしかった。
街を歩く。
ここは日本か??
どこか別世界に来たかのようだった。
街の形をしたミニチュアを誰かが激しく揺さぶった後のような惨状だった。
朝一通りはまるで空襲の後のよう。まだ辺り一面には焦げ臭さが残っている。
輪島市が舞台の朝ドラ「まれ」のモニュメントだけがまるで何かを伝えるように、この地に姿を残していた。
輪島市役所から片道2時間半かけて、富山県氷見市の山間の宿泊先に泊まる。
宿泊は6人部屋だ。
その頃にはチームのメンバーとも話すようになり、夕食を食べて、風呂に浸り、就寝した。
今日から本格的に仕事が始まる。
輪島市内の山間の集落と、海岸沿いを進む。
レンタカーで山を登る。
山を下り、海岸へ。
業務を終え、輪島市役所へ帰還する。
帰ると、輪島市の職員のみなさんから差し入れが。
ファミマの唐揚げ弁当、大変ありがたい泣
本当に大変な中、ありがとうございます。
そして我々はまた、氷見の宿泊先にバスで2時間半かけて戻る。
【4日目〜7日目】
山間のさらに奥地へ進み、業務を行う。
なんとここでアクシデントが起きる。
落石が道を塞いでおり、この先の調査エリアに進めなくなってしまった。
近所の住民から鉄の棒を借りて、なんとか岩を道路脇にずらすことに成功。
これでやっと先に進める、と思っていた。
その先でまたもや、問題発生。
完全に行き先が塞がれてしまう。
右側の道は土砂崩れで行き止まり、そして左側の道は崖崩れで一歩踏み外せば海へ落下してしまう。
この道は通行不可ルートとして報告し、別エリアを調査することに。
他にもこのような崖崩れがいくつも見られた。
調査中、野放しにされた鶏小屋から出てきた鶏とその向こうに見える日本海。
【8日目】
担当エリアの業務が全て終了。
輪島市役所へ帰還する。
次の陣の支援チームが到着したので、引き継ぎを行う。
そして、我々のチームは輪島市を後にし、初日宿泊した高岡市へと向かう。
短いとは思わなかった。とても長かった8日間だったように思える。
高岡市のホテルに到着し、一旦解散となる。
とうとう集団生活から解放され、贅沢ながらも一人部屋に今日は泊まることができる。
「やっと終わった、、、」
このホテルの廊下に着いた時に感じた、あのとてつもない開放感を一生忘れないだろう。
開放感、というと不謹慎に聞こえてしまうが、8日間という生活はこんなことを感じるには十分な期間だった。
【9日目】
毎朝4時30分起きの生活に慣れたせいか、今朝も早く起きてしまった。
メンバーと朝食をとり、荷物を積み、バスに乗って、小松空港へ向かう。
車窓からは青空と気持ちの良い光がさし込む。
こんな清々しい朝は久しぶりだ。
9日間寝食を共にしてきた仲間達と離れるのは少し寂しさもある。
引き継ぎをした次陣のチームはあの日の俺たちと同じように今頃業務を始めたところだろう。
小松空港でこれまで共にしたメンバーたちと解散する。
本当にみんなありがとう。
そして福岡空港へ。
到着口ゲートでみんなバラバラになり、自分も9日ぶりに一人になった。
ーーーーーーーあれから8ヶ月。
今、輪島市は大雨の災害からの復興と闘っている。
なぜまた輪島市なのだろうか。神様ってのはとことん居ねえもんだなーと思ってしまう。
いつの日か、かつて活気にあふれていたであろう輪島の朝市を見れる日が来るだろうか。
その日は必ずいつの日かやってくるに違いない。
今回我々が行ったことはほんのわずかなことでしかなく、現実はもっと悲惨で過酷である。
ただ、近い将来、もう一度あの場所に戻りたいと思う。
その時はまたあの丘の上から広がる日本海を眺めたいものだ。
輪島市のこれからの復興を願っています。