
AIとマヌコーヒー

マヌコーヒー。
黄色の壁に架けられた絵画やむき出しの配管。
キラキラと反射するミラーボールに長年使い込まれてキズや年季の入ったイスやテーブル。
そして店内に広がるコーヒーの香りと、コーヒーを飲みながら何かの作業に没頭する人たち。
心地良い時間が流れる。
俺はこの空間が好きだ。
今後、我々が暮らす都市がどれだけ発展しようとも、人間の感性で、人間が創意工夫して作ったものや空間、建造物が俺は好きだ。
言わずもがなだが、AI時代が完全に到来してしまった。
AIは非常に便利なツールである。(今のところは)
検索、作成、提案、創作、動作、分析。
ありとあらゆる場面に組み込むことで一瞬で答えを導き出し、カタチにしてしまう。
実際に仕事上でも一部活用しているが、今まで時間を費やしていた作業(例えば一から作成する、一から調べる作業など)は一瞬で原案が完成し、必要なのはそれを人の目で精査し完成させる作業のみで、今までやるのが当たり前だった業務は大幅に効率化された。
人々がタイパ、コスパ、利便性を求める限り、AIを活用せずにはいられない。
今後の世界はおそらくインターネットが普及し始めた時と同じように、ありとあらゆるシステムにAIが組み込まれていくことだろう。
最近のSNSでは、AIで作られた動画やアート、音楽を良く見かける。
一見すると良くできてるなぁと思いつつも、良く見てみると人工知能の定義が曖昧になり、人の顔は崩壊している、文字が文字ではないなどのカオスなイラストとなっており、特有の気持ち悪さを個人的には感じる。
十数年もすれば、精度も上がり、完全に見分けがつかなくなってしまうのではないだろうか、、、
そんな時代がついに始まってしまった。
今後はおそらく、人々の価値観が変わる。
AIで作られたものは、おそらく案外普通に受け入れられる。
ただ、音楽やアートなどの創作物に関しては、「人が作ったもの」が今まで以上に価値のあるものとして扱われる時代になる。
手作りの家具、手作りの陶器。人が何日もかけて描いた絵、スタジオでレコーディングされたギターベースドラム楽器本来の音と声で作られた音楽。
人が一から作った魂の籠もったモノに対して、より一層価値が置かれる時代がこれからやってくるのではないかと、個人的にはそう思う。

だからこそ最初の話に戻るが、マヌコーヒーのようなあの人の魂が宿った空間がいつまでも残っていて欲しいなぁと思う。
冬の雨に打たれた時には駆け込んで、温かいクジラブレンドを一杯を飲んでひとまず落ち着くあの時間は最高だ。
くだらない話し声が聞こえてくるテラスで今日1日どうしようかと考えながらちょっと耳を傾けてみると、みんな色んな人生歩いてんなぁとしみじみ感じたり。
たまに個展もやってたりするので、そんな時はアートを眺めながら作者の感性に触れてみたり。
雨の日は雨音を聴きながら飲むコーヒーもまた趣深い。
なんかこう、綺麗で整備された無機質な高層ビルのカフェよりも、狭い雑多なビルの隙間でも、人の手が加えられて、ありったけの色んな表現が詰め込まれてて、それに共感した人達に長く愛されている、そんな空間ってやっぱいいなぁと思う。
自分も時代に適応し、AIや色んな技術を活用していく側として、血の通ったものを大切にする感性は忘れないように生きていきたい。
、、、となーんか小難しく小論文みたいに語ってみたけど、要はペラッペラのAIさんが作ったニセモンじゃなくてちゃんと人が作った本物が俺は好きってだけの話ですね笑
なんかここ最近思ってたことを自分なりに解釈して今回書いてみました。
でも結局いつだって今が一番良い時代な気はするので、この現代を楽しんで生きていこうと思います。
マヌコーヒー行きてぇー!!

